あらゆる人が神の救いを見る

「あらゆる人が神の救いを見る」 2018/12/9

マラキ3:1~3
ルカ3:1~6

アドベント2週目となりました。今日の福音書はバプテスマのヨハネの箇所です。先週のエルサレム入城の箇所同様、今日の箇所も必ずアドベントに読むところです。救い主をお迎えする準備をさせたヨハネの教えを学んで、ふさわしい状態でイエス様をお迎えしようというわけです。
バプテスマのヨハネは人々に神様の言葉を語りましたが、その動機は何だったのでしょうか?それは、「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った」(ルカ3:2)からでした。西暦29年頃、神様は明確にヨハネに語りかけ、ヨハネを動かしました。今も神様はわたしたちに語られます。それは聖書を通してです。ぜひ聖書を持って荒野(静かな場所)に行き、集中して読み、御言葉を思い巡らしてみてください。きっとバプテスマのヨハネのように神様の語りかけを聞き、立ち上がって行動する力が与えられることでしょう。
神様がヨハネに語られたのは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」(マタイ3:2)と人々に告げよ、ということでした。これが彼のメッセージの中心です。悔い改め(メタノイア)とは、「考え」(ノイア)が「入れ替わる」(メタ)ことです。自分はそれほど悪くないと思っていた者が、我に返り、自分は神様に対しても人々に対しても、なすべきことをしていない罪人である、ということを認めること。これが悔い改めです。その時、まるで山と丘が削られるように道が平らになり、視界が開けます。そして救い主イエス様がはっきり見えてきます。わたしたちの罪を背負い、わたしたちと「入れ替わって」十字架で死んでくださり、よみがえられたイエス様を仰ぎ見、喜びにあふれます。「でこぼこ道は平らになる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。」(ルカ3:5~6)
その人は、まるで「銀が精錬されるように」(マラキ3:3)輝きはじめます。そして、神様に対しても他の人々に対しても、なすべきことをする者となります。(永田 令 牧師)