愛の労苦

「愛の労苦」 2017/11/12

Ⅰテサロニケ1:1~10
マタイ22:34~40

ある律法の専門家がイエス様に質問しました。「律法の中で、一番たいせつな戒めは
どれですか。」律法というのは神がすべての人間に与えたルールです。この問いにイ
エス様は、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を
愛せよ。』」とお答えになりました(マタイ22:37-38)。学校の道徳で「人への親
切」を学ぶ前に、まず造り主なる神様を愛することを学ばなければならないのです。
続いてイエス様は「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒め
も、それと同じようにたいせつです。」(39節)と言われました。この2つは同じレ
ベルであり、コインの裏表です。本当に神を愛する者だけが、人をも愛することが出
来るのです。
ユダヤ人はこれらの戒めを古くから知っておりながら、その本質を見失い、見当違い
な守り方をして、かえって神様を悲しませました。わたしたちも同じです。神と人を
愛すると言いながら自分の都合を優先し、結局神を悲しませ人を傷つけている・・そ
れがわたしたちです。
しかしわたしたちがそのようなものだからこそ、神様は一人子イエス様を地上に送
り、わたしたちの代わりに十字架につけてくださいました。「私たちが神を愛したの
ではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を
遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ4:10)。この神様の愛を喜
び、御言葉と聖餐によって日々この愛を確認しながら、「自発的に」神と人への愛を
行っていく。これがわたしたちにとっての律法です。
テサロニケ教会のクリスチャンたちは「愛の労苦」の中でイエス様を伝えました。そ
れは「石をハンマーで打つ」ような労苦でした。しかしその労苦は彼らをますますイ
エス様の十字架へと向かわせ、「聖霊による喜び」(Ⅰテサロニケ1:3)へと導きま
した。こうしてその地方一帯に福音が広がりました。わたしたちも神への愛と隣人へ
の愛を真剣に行う時、そこには労苦と共に、大きな喜びがあります。そしてその結
果、多くの人々がイエス様へと導かれるのです。 (永田 令牧師)