わたしもその中にいる

「わたしもその中にいる」 2017/10/1

       マタイ18:15~20

「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい」(ローマ12:19)と聖書は言います。しかし、わたしたちは何か言われたらすぐカッとなって、言い返したり仕返ししたりする者です。それはクリスチャンも同じです。今日の福音書に「あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい」(マタイ18:15)とあります。「兄弟」というのは教会の兄弟姉妹、つまりクリスチャンのことです。教会の中にも争いが起こる、それが人間です。
それをしずめる一つの方法は、「すぐに結論を出さずに時間をかける」ということです。今日の箇所に「まず2人きりで忠告する」「2-3人の証人の前で忠告する」「教会に告げる」という3段階の忠告が勧められています。こうして時間をとることによって、わたしたちは祈ることが出来、聖書を読むことができます。それによって神様の御心の判断に近づくことができるのです。
ところで17節に「教会に告げなさい」とありますが、まだイエス様の時代には組織としての「教会」は存在していません。「イエス様を救い主と信じる信仰の上に立つ人々」、それが教会です。建物の有無や、組織の有無は二の次です。「わたしはすぐ人を傷つけてしまう罪深い人間だ。でもそんなわたしのためにイエス様は十字架にかかり、わたしを救ってくださった。イエス様感謝します。あなたこそ、わたしの救い主です!」この信仰の上に集まる人々。そこに教会があり、その中にイエス様がおられます。
「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18:20)。この「2-3人」というのは、16節で「証人」として呼ばれた2-3人です。そこには緊張があります。教会は違う人同士が集まっていますから、どうしても緊張関係が生まれます。でもだからこそ「イエス様の名において」集まり、祈るのです。そして「こんなわたしたちをイエス様は救ってくださった。」という感謝を新たにして再び歩みだす・・。その時に教会に愛が生まれ、多くの人々に主の愛を告げ知らせることが出来るのです。 (永田 令師)