一番えらい人

「一番えらい人」 2017/9/24

マタイ18:1~14

「この人は偉い」とあなたが思う人を思い浮かべてみてください。おそらく「立派な功績を残した人」「人類の歴史に大きく貢献した人」あるいは「お父さんやお母さん」「お世話になった恩師やお友達」等を思い浮かべたのではないでしょうか?これらの方々はふつう「大人」です。
ところがイエス様は、小さな子どもを呼び寄せて言われました。「この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」「悔い改めて子どものようにならない限り、決して天の御国には入れません。」
「悔い改めて」というのは「向きを変えて」という意味です。つまり大人と同じ方向性で「身を低くする」ことではないのです。大人は知識も経験もある中で、努力して謙遜にふるまうのですが、小さな赤ちゃんは本当に何も出来ず、何も知りません。それと同じように、「自分は神様のみこころをまったく何もわかっていない。神様のみこころをまったく行えない。むしろ神様が悲しまれることや、憎まれることばかりをしたり、考えたりしてしまう・・それが自分の本質だ」ということを認め、助けを求めること、これこそ「悔い改め」であり、「方向転換」です。
自分で自分を救えない赤ちゃんのようなわたしたちを救うために、イエス様は地上に来てくださいました。「人の子は、失われている者を救うために来たのです。」(マタイ18:11)このイエス様に救いを求め、より頼んで生きる人こそ、神様から見て「偉い人」です。
子どものようにイエス様にすがって生きる人は、「祈らなければ自分は何もできない」ということを知っています。マザーテレサは朝の沈黙と祈りを欠かしませんでした。祈りの大切さをよく知っていたからです。だから結果的に、誰からも「偉い人」と言われるような働きが出来たのです。「沈黙の実りは祈り。祈りの実りは信仰。信仰の実りは愛。愛の実りは奉仕。奉仕の実りは平和。」【マザーテレサ】 (永田 令師)