あなたは何を見ていますか?

「あなたは何を見ていますか?」 2017/9/3

     Ⅰ列王記19:9~13
     マタイ14:22~33

今日の福音書は、先週の「5つのパンと2匹の魚の奇跡」の続きです。あの奇跡のあと、イエス様は急に群衆を解散させてしまいました。それは群集がイエス様を「王とするために、むりやりに連れて行こうと」したからです(ヨハネ6:15)。「むりやり」連れて行くなんて、とても王に対する態度とは思えません。彼らはイエス様を王どころか「便利な奴隷」と考えていたのです。
わたしたちはどうでしょうか?イエス様を「王の王、主の主」と賛美しながら、自分の都合でイエス様を奴隷のように動かそうとしてはいないでしょうか?それが人間です。今日の群衆も、弟子たちも、わたしたちも、その点ではみな同じです。
しかしそんなわたしたちのために、イエス様は祈って下さいます。「群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた」(マタイ14:23)。イエス様はわたしたちのゆるしのために何時間も祈ってくださり、十字架の上でも祈ってくださいました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
このイエス様の十字架と祈りのおかげで、わたしたちは救われました。自分の正しさや優しさや意志の強さによってではなく、ただイエス様の十字架を仰ぎ見る信仰によって罪がゆるされ、神様の御国を継ぐ者となります。
イエス様は荒波の上を歩いて弟子たちのところに来られました。わたしたちの人生にも罪の風がふき、波も起こります。しかしイエス様はまったく動じることなく、その波の上を歩かれます。わたしたちもイエス様を見つめて歩むならば、ペテロのように、どんな荒波の上も歩くことが出来る、すなわち天国への道を歩むことができます。反対に、イエス様から目を離し、風を見たら沈み始めます。
今あなたは何を見ていますか?風ですか?波ですか?そうではなくイエス様を見ましょう。そして荒波を足の下に敷きながら、驚くべき奇跡を教会の皆で体験して参りましょう。 (永田 令牧師)