イエス様に食ってかかろう

「イエス様に食ってかかろう」 2022/7/17 聖霊降臨後第6主日礼拝メッセージ

ルカの福音書10章38~42節

きょうの福音書は有名な姉と妹、マルタとマリヤの箇所です。5/29の宣教70周年記念礼拝で廣野先生が語ってくださった箇所です。イエス様が家に来られた時、姉のマルタはもてなしのためにあれこれ忙しく働き、妹のマリヤはイエス様の足もとに座ってみことばに耳を傾けていました。そしてイエス様から「良いほうを選んだ」と言われたのはマリヤの方でした。なぜでしょうか?

きょうの箇所は先週の「善きサマリヤ人のたとえ」の直後に書かれていますが、ルカは必ずしも時間順に福音書を書いておらず、今日の出来事を意図的に「善きサマリヤ人のたとえ」の直後に持ってきました。それは「善きサマリヤ人のたとえ」だけだと、「人が永遠の命を持つには善きサマリヤ人のように親切でなければならない」と誤解する読者がいるかもしれないからです。しかし実際はイエス様こそが善きサマリヤ人であり、わたしたちは倒れた旅人同様、何も出来ない。だからこそイエス様がわたしたちのために十字架で死んでくださったのであり、そのことを受け入れる時にわたしたちは永遠の命を得、人々に仕えることが出来るようになるのです。すなわちマリヤが選んだ「良いほう」とは「イエス様の福音の言葉を聞く」ことです。「わたしたちは自分の行いによってではなく、ただイエス様の十字架と復活によって救われる」という福音の言葉をマリヤは聞き、そこに留まりました。このように福音の言葉にどっかりと居座ること、これが「良い方」です。ある牧師が「イエス様を喜ばせる者ではなく、イエス様を喜ぶ者でありたい」と言いました。今日の箇所で言えば、マルタは「イエス様を喜ばせよう」とし、マリヤは「イエス様を喜ぼう」とした。その結果、マルタはマリヤへの怒りを募らせ、マリヤはイエス様を喜ばせました。「イエス様を喜ぶ」ことが、結果的にイエス様を喜ばせることになるのです。そして福音の言葉に居座り続ける具体的な方法、それが「礼拝」です。

しかし、頭ではわかっていてもやはり間違えたり、不平不満が出てくるわたしたちです。それでもイエス様は受けとめてくださいます。イエス様に食ってかかったマルタを優しく受けとめたように。だからわたしたちも遠慮せずにイエス様に食ってかかりましょう。イエス様の十字架によってすべてゆるされているのですから、マリヤのように、そしてマルタのように歩んでいきましょう。

(永田 令 牧師)