キリスト殿の70人

「キリスト殿の70人」 2022/7/3 聖霊降臨後第4主日礼拝メッセージ

ルカの福音書10章1~11、16~20節

大河ドラマ風に言えば、イエス様の12弟子はさしずめ「キリスト殿の12人」といった所でしょう。しかし実はイエス様の弟子はこの12人だけではなかったのです。きょうの福音書でイエス様は、12弟子とは別に、70人の弟子を伝道の旅に遣わされました。すでにイエス様は12弟子を派遣されましたが、この70人も同じようにされたのです。なぜでしょうか?しかもなぜ50人でも100人でもなく「70人」なのでしょうか?

旧約聖書を見ると、十戒が刻まれた石板を神様から受け取るためにモーセが山に登った際、神様は「70人の長老」を同行させておられます(出エジプト24:1)。彼らはいわば「信徒」です。祭司でもリーダーでもない人たちです。しかし彼らの存在が、モーセにとっても神様にとっても必要だったのです。

きょうの箇所の70人も、現代の教会の「信徒」の方々を表していると言えます。12弟子のペテロやヨハネ、あるいは伝道者パウロのように有名でなくても、イエス様にとって重要な働き人、それがこの70人でした。

イエス様は彼らに「財布もかばんも靴も持っていくな」(4節)と一見無茶な指示を出されました。人やモノではなく、ただ神様だけに信頼することの大切さをイエス様は教えておられるのです。わたしたち人間は、すぐに人やモノに頼り、神様を忘れてしまう者です。そんなわたしたちの代わりに、イエス様は十字架で死んでくださり、よみがえられました。「鎌倉殿」は自分を守るために部下たちを殺しましたが、「キリスト殿」はその逆です。ご自分の命を捨てて、弟子であるわたしたちを救ってくださいました。このイエス様に信頼して生きる人は、神様との間に平安を持ちます。イエス様が70人を遣わされたのは、一つでも多くの家庭に、地上の幸せとは違う、「神との平安」をもたらすためでした。「どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい」(5節)と書かれてある通りです。

創世記10章によると、「70」というのは「世界の民族」を象徴する数字でもあります。ユダヤ人だけでなく、世界中の人々に本当の平安をもたらすために、イエス様は「70人」を遣わされたのです。主はわたしたちをも遣わしてくださいます。信徒も牧師も関係ありません。共に主の働きに参加して参りましょう。

(永田 令 牧師)