人生は神の賜物

「人生は神の賜物」2017/7/2

    ホセア05:15~06:06、マタイ09:09~13

今日の福音書は、12弟子の1人マタイがイエス様の弟子になった箇所です。それまでマタイは取税人をしていました。政府に仕えて、市民から通行税や関税を集める仕事です。よほど頭脳明晰で、きっちりした人でないと勤まらない仕事です。おそらく最初は高い志を持っていたと思いますが、今のマタイはそうではありませんでした。

「わたしについて来なさい」というイエス様のお言葉を聞いた時、マタイは、もう二度と職場には戻れないことを承知の上でイエス様に従いました。それは12節に「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」とある通り、自分が「医者を必要とする病人」であることを知っていたからです。体や心の病気ではありません。「魂」の病気です。「今の自分は神の望む生き方をしていない。」このことの重大さがわかっていたので、イエス様から招かれた時、「この人はわたしの医者だ」と確信して、彼はイエス様について行ったのでした。

皆様の中で「体は元気だけど魂が病んでいる」と感じている方があれば、もう一度イエス様のもとへ行きましょう。イザヤ書534にあるように、イエス様は私たちの病を負って十字架で死んで下さり、よみがえられました。イエス様の十字架のもとに立ち返るとき、わたしたちは復活します。「主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。」(ホセア6:2

自分とイエス様が出会った今日の場面を、マタイは本名(レビ)ではなく「マタイ」という名前で記録しました。その意味は「神の賜物」です。自分ががんばる人生ではなく、神様からの賜物、イエス様からの恵みとしての人生を歩みはじめた日だからです。それは決して「自分は何もしない」という意味ではありません。この後マタイは友人たちを招いてイエス様と出会わせたり、「マタイによる福音書」を書いたりと、自分の経験と能力をフルに発揮して、神様と人々のために活躍しました。これこそ「神の賜物」として与えられる新しい人生なのです。 (永田 令牧師)