満足のほほえみ

「満足のほほえみ」 2021/10/17 聖霊降臨後第21主日礼拝メッセージ

マルコ10:35-45

このたび日本の首相が代わりましたが、ナンバー2、3の座を求めて多くの人が気をもんだことでしょう。きょうの箇所でも弟子のヤコブとヨハネがイエス様に「あなたが王座についたあかつきには自分たちを右大臣、左大臣にしてください」と直談判し、それを知った他の弟子たちも腹を立てています。イエス様の受難と復活が間近に迫っているというのに、彼らはイエス様のお心を全く理解していなかったのです。

この2人にイエス様は「あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか」(38節)とお尋ねになりました。ちょうどイエス様の右と左で十字架につけられた犯罪人のように、イエス様と同じ苦しみを味わうことができるか?ということです。2人は「できます」と答えました。しかしイエス様の苦しみは、ただの肉体的な苦痛ではなく、わたしたち人間の罪を背負って苦しみ、それによって人間を救うという「身代わりの苦しみ」でした。わたしたちが神のみこころにそむき、人を踏み台にして、目的達成のためなら仲間さえ出し抜いて満足を得ようとする者だから、イエス様が代わりに刺し通され、わたしたちの咎のために砕かれてくださったのです。このお方へのこらしめが私たちに平安をもたらし、このお方のうち傷によって、私たちはいやされました。イザヤ書53章5節で預言されている通りです。同じく53章11節には「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」と書かれています。自分の願望をかなえて満足するのではなく、人のために苦しみ、その苦しみによって人が救われ、いやされることにイエス様は満足されたのです。そのほほえみは何と美しいものだったでしょうか。

イエス様と同じバプテスマを受けることが「できます」と、2人は答えました。イエス様も「なるほどあなたがたはそれを受ける」と言われました。イエス様を信じて洗礼を受けた者は新しく生まれ変わり、イエス様と同じように、他の人のために喜んで苦しむことが出来るようになるのです。ヤコブもヨハネも、人々に福音を伝えるために苦難の生涯を歩みました。その顔には右大臣、左大臣になるよりも、はるかに満足したほほえみを浮かべていたことでしょう。

(永田 令 牧師)