野獣から天使へ

「野獣から天使へ」 2021/2/21 主日礼拝メッセージ

マルコ1:9-15

今年は2月17日の「灰の水曜日」から、イースターまでの40日間(日曜日は除く)が、イエス様の苦しみを覚える四旬節です。きょうは四旬節第一主日ですので、イエス様が40日間荒野でサタンの誘惑を受けられた出来事について学びます。「四旬節」の由来となった出来事です。

この荒野の誘惑の前後を見ると、すぐ前にイエス様が洗礼を受けた記事、すぐ後にイエス様が公に宣教活動を始められた記事が記されています。イエス様の洗礼と宣教活動の間に、荒野の誘惑の出来事があったわけです。洗礼は聖霊をいただいて新しい人生が始まる節目です。だから普通は洗礼の後、すぐに福音を宣べ伝えに行くはずです。ところが聖霊がそれを許しませんでした。「そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた」(マルコ1:12)。この荒野での経験が、この後イエス様が福音を宣べ伝えるためにどうしても必要だったのです。「荒野」というのは「寂しい所」を意味する言葉で、いつもイエス様が「祈るために」行かれていた場所です。わたしたちも「さあこれから」という時に出鼻をくじかれるようなことがあります。しかしそんなときは静まって祈りましょう。こうして試練の中で神様との深い交わりを経験した者こそが、そのあと多くの人々に福音を告げ知らせることが出来るのです。

この荒野の誘惑についてマルコはとても簡潔に書きましたが、そのマルコが省かなかった言葉、それは「野の獣とともに」という言葉です。ノアの洪水の後、神様はノアや野の獣たちと契約を結びました。わたしたちは、もともと野獣のように神様と人に牙をむく存在です。しかしそんなわたしたちのためにイエス様が十字架で死んでくださり、よみがえってくださいました。誰でも自分の中の野獣のような心を認めてイエス様を信じ、洗礼を受ける時、その人は新しく生まれ変わり、天使のようにイエス様にお仕えする者となります。このイエス様を仲介者として兄弟姉妹が共に歩む。これが教会の交わりです。去年と今年のあいことば「共に歩むしあわせ」は、そのようにイエス様を中心とした交わりの中にあり、そのような場所に人々は集まって来るのです。

(永田 令 牧師)