夜空の星のように

「夜空の星のように」 2020/10/4 主日礼拝メッセージ

マタイ21:33-46

10月になり、今年もあと3ヵ月となりました。コロナ禍によって毎日暗いニュースが流れています。しかし神様は必ず闇を光に変えてくださいます。しかも、「闇の後」でやっと光が来るのではなく、「闇の中」に既に光が輝いている、と聖書は語っています(ヨハネ1:5)。

今日のたとえ話はずいぶんシリアスな話です。ぶどう園で働いた農夫たちが、収穫したぶどうを主人に渡そうとせず、主人から送り込まれる使者たちをふくろだたきにしたり、石で打ったり、殺してしまったりします。そして最後に主人が遣わした主人の息子までも殺してしまう、という話です。一見あり得ない話に思えますが、当時のイスラエルは格差社会のために、貧しい労働者たちは裕福な主人にいつもねたみや怒りを感じており、実際にこういう犯行もあったそうです。
私たちも、自分より幸せそうな人や、あまり苦労していないように見える人に対してねたみや怒りを感じてしまうことがあります。また神様に対しても、実際は命や家庭や仕事や太陽や雨など、すべて与えていただいているにもかかわらず、感謝よりも不満や怒りを持ってしまう、それが私たち人間です。

ぶどう園の主人は何度も使者(預言者)を送りましたが、農夫たちは聞き入れませんでした。そして最後に一人息子を送りましたが、農夫たちはその息子も殺してしまいます。これはイエス様を指しています。わたしたち人間の罪がイエス様を十字架につけました。しかし、その死によってわたしたちは救われたのです。「『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』(マタイ21:42)
このイエス様の福音と聖礼典(洗礼と聖餐)によって、わたしたちは日々神様の恵みをいただき、心に光が輝きます。今なお心に罪の闇はありますが、その罪を悔い改めてイエス様を仰ぎ見る時、わたしたちは明るく輝きます。ちょうど、夜の闇が深ければ深いほど、星が明るく輝くように。そしてその輝きが、私たちを正しい方向へ、すなわち神様を愛し、人に仕える生き方へと導いてくれるのです。

(永田令 牧師)