神の武具を身に着けて

「神の武具を身に着けて」 2018/9/2

エペソ6:10~20
マルコ7:1~15

イエス様の弟子たちが食事の前に手を洗わなかったことに対して、パリサイ人や律法学者たちは非難しました。それは衛生的な理由ではなく、宗教的な理由です。「食事の前に手を洗うことは神の律法であり、神のみこころである」と彼らは主張しました。しかし律法にそのような規定はありません。彼らが勝手に「厳しく」したのです。そんな彼らをイエス様は「偽善者」と呼び、「口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている」と喝破しました。俳優のように熱心な信仰者の仮面をかぶっていても、その心は神様から遠く離れていることを、イエス様は見抜いておられたのです。
これはユダヤ人だけの問題ではなく、わたしたちの姿でもあります。わたしたちも敬虔さを装いながら人を裁いたり、苦しんでいる人に手を差し伸べなかったりする者です。それこそ律法に反する罪です。
そんな内側の罪を主の前にさらけ出し、心から悔い改める時、わたしたちの中からではなく外から救いがやって来ます。それがイエス様です。イエス様は天から来られ、わたしたちの醜い罪を背負って十字架で死なれ、よみがえってくださいました。誰でも仮面の下の罪を認めてイエス様を信じ、洗礼を受けるなら、聖霊様によって新しくされ、神のみこころにかなった良いわざを行うことが出来るようになります。
「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」(エペソ6:11)。神の武具、それは子どものように素直な信仰です。自分では決して悪魔に勝てないことを認めて御言葉を受け入れ、十字架のイエス様にすがり、聖餐にあずかり、日々御霊によって祈る。そして兄弟姉妹と祈り合い、恵みを分かち合う時、わたしたちは仮面ではなく神の武具で覆われます。その結果、悪魔に妨げられていた本当の行い、すなわち形だけの律法ではなく、神と人を愛し、その愛で行動する「本物の律法」を行う者となるのです。 (永田 令 牧師)