月別アーカイブ: 3月 2019

私の信仰の始まり(1)〜教会の門を叩いた日〜

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2015年9月6日の雨上がりの日曜日、私は初めて当教会を訪れました。

教会の前に立ち、門柱のベルを鳴らし、門扉の前で待っていました。

しばらくは誰もでてこなくて、とても心細くなったことを覚えています。

「自分は何をやっているんだろう、わざわざ火中の栗を拾うようなことをして、しかもそれが誰のためになるかも知れないのに・・・もう帰ろう」と思っていたその矢先に、牧師先生の奥様が現れて、私を教会内へと案内してくれました。

一人で教会を訪ねた私でしたが、それは誰かの紹介でもなく、何かの案内を見た訳でもなく、また、教会にどなたかの知り合いがいたわけでもありません。

訪れる2ヶ月ほど前に、 (さらに…)

安価な恵み

「安価な恵み」2019/3/10

ローマ10:8~13
ルカ4:1~13

8年前の灰の水曜日の2日後、東日本大震災が起こりました。「四旬節と一緒に津波がやって来た」(山浦氏)のです。「信仰があれば、悲しみや苦しみはない」と、わたしたちは思いがちですが、そうではありません。でもその悲しみや苦しみの中に、確かに神様の恵みがある、と聖書は教えています。
きょう、四旬節第一主日の福音書は、イエス様が荒野で悪魔の誘惑を受けられた箇所です。ヨルダン川で洗礼を受け、聖霊に満たされたイエス様は、聖霊様によって荒野へ「連行」されました。そして40日の断食の後、悪魔の誘惑にあわれました。悪魔はわたしたちのことも「ほえたける獅子のように」ねらっています。だから悪魔の手口をよく知っておく必要があります。
今日の箇所で悪魔はイエス様に3つの誘惑をしました。主への叫びを止める満腹、十字架のない回心、そして自分に都合よく御言葉を解釈することです。どれも一見快適な「恵み」です。しかしそれらは痛みのない「安価な恵み」です。本当の恵みには痛みが伴います。なぜなら、痛みがなければ人は本気で神様に叫ぶことなく、本気で悔い改めることもないからです。
これら3つの誘惑に、イエス様はすべて申命記の言葉で反撃されました。申命記は「律法」です。「ただ主だけに仕えよ」(申命記6:13)等、人間にとって耳の痛い言葉です。しかし律法によって人は、自分がいかに天国から遠い存在であるかに気づき、絶望し、「主よ、わたしを救ってください!」という叫びが生まれます。その時「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマ10:13)のです。罪深いわたしたちの代わりに、イエス様が悪魔と同じ裁きを受けて下さったので、イエス様の御名を呼び求める者は、たとえ悪魔のような人間であっても救われるのです。
「安価な恵みは、悔い改めを要求しない赦し。主に従うことなき恵み。」(ボンヘッファー)。わたしたちも、痛みのない安価な恵みではなく、自分を嘆き、日々十字架のイエス様にすがりましょう。そして神様と人々のために涙を流す者となりましょう。それこそ「高価な恵み」なのです。 

(永田 令 牧師)

教会ブロガー「マック」の道の駅

皆さんこんにちは。

このたびホームページにブログができるということで、栄えある第1回目の投稿をさせていただくことになりました、教会員の「マック」こと藤本です。

いやー、初回というのは緊張しますね。

文章書くのって、いつも自分の携帯サイトに投稿したりはしているんですが、教会のブログとなるとちょっと勝手が違う気がしますね。

ましてや、私、当教会の中では今年でやっと3年足らずの人間ですし。

信仰も、教会のことも、まだまだ知らないことばっかりで、正直、私のようなものでもいいのかな?とも思いましたが、ただ、声をかけてくださった方から「気軽に書いてくださーい」ってお言葉をいただきましたので、いつものノリで、ほんとにお気軽に、お返事させていただきました。 (さらに…)

3/16 ミニ運動会と卒業・進級パーティー

だんだんあたたかくなってきましたね。
3月の土曜クラブは外でミニ運動会をします。チーム対抗のしんけん勝負です!
おひるはチキンライスとフルーツサラダ。
そつぎょう&しんきゅうパーティーのおかしバイキングや、食育クイズの表彰式もあります! みんな来てね~!

とき:3月16日(土)10:30~13:00
さんかひ:こども100円 おとな300円。