必要経費は…私自身!

「必要経費は…私自身!」 2019/9/8

申命記29:1~8
ルカ14:25~33

本日の箇所で、イエスさまは、ご自分に従おうとする群衆に、自分の家族、自分の命まで憎まない者はわたしの弟子になることはできないと言われます。
これは家族や命を粗末にせよというのではなく、神さまだけが絶対であって、それ以外は家族であれ自分の命であれ、全て相対化せよということです。
絶対は唯一です。二つ目はありません。人は必ず自分の絶対を持っており、それ以外を相対にしています。そして大抵は、絶対なのは自分自身です。
信仰とは、自分ではなく神さまに自分の絶対になっていただくことです。家族でもいけません。自分や家族が絶対にならないよう厳しく見張ること、それが憎まないといけないということです。
「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子となることはできません。」という言葉も同じです。十字架を負うとは絶えず自分に死ぬことです。自己中心な自分は死に、神さまから頂いた命に立ち返り続ける。
これらを一言で言うなら、献身です。献身は自分の全てをささげることです。自分の全てが費用に計上されないといけません。塔を築こうとするとき十分な金があるか計算しない者があるでしょうかとイエスさまは言われます。
一部でも自分を残していると、神さまより他のことを優先したくなって挫折することが多いのです。それは自分を絶対の座に残していることでもあります。「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」とあります。財産などキリストに頼らない部分を残すことはできません。裸一貫、イエスに従う覚悟が必要です。
必要なのは混じりけのない私自身です。必要経費は私自身だけなのです。

(井上 靖紹長老)