行って実を結べ

「行って実を結べ」 2019/7/21

コロサイ1:1~14
ルカ10:25~37

今日の福音書は、欧米にある「善きサマリヤ人の法」という法律のもととなった箇所です。あるユダヤ人が旅の途中で強盗に襲われ、半殺しの目にあいます。そこへ祭司、レビ人が通りかかりますが、見て見ぬふりをします。しかしサマリヤ人は、日頃ユダヤ人から差別を受けていたにもかかわらず、倒れているユダヤ人を介抱し、治療費と宿代まで負担します。この話のあとイエス様は「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われました。この箇所はわたしたちに「人に親切にしなさい」「敵であっても助けなさい」ということを教えているのでしょうか?
イエス様がおっしゃった、(同じように)「しなさい」というのは、「実を結びなさい」とも訳せる言葉です。植物が実を結ぶためには、幹や茎とつながっていなければなりません。同じくわたしたちもイエス様とつながっていなければ、決して実を結ぶことが出来ない、すなわち人に親切にしたり敵を助けたりすることは出来ません。レビ人や祭司が、傷ついた旅人を助けることが出来なかったように。
自分を「善きサマリヤ人」に置き換えて誰かを助けようとしても、自分の傲慢さに打ちひしがれるだけです。しかし、自分が半殺しにされて倒れている側の旅人であることを認め、イエス様に助けを求める人は救われます。イエス様こそ、罪にあえぐわたしたちのために命を投げうって助けてくださった「善きサマリヤ人」です。イエス様に助けを求めるなら、イエス様はわたしたちを介抱し、傷をいやしてくださいます。イエス様の介抱を十分に受けた人だけが、自分も他の人を助けることが出来るようになります。
今日の使徒書コロサイ1:6に「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。」とあります。自分自身の親切心や優しさによってではなく、イエス様の恵みを十分に受けることによって、わたしたちは世界のおもてに実を満たすことが出来るのです。

(永田 令牧師)