神に怒りを!

「神に怒りを!」 2019/7/14

ヨナ4:1~11
ルカ9:51~62

神様に対して激しい怒りを覚えることが、わたしたちにはあります。旧約聖書に出てくるヨナも、神様に対して激しく怒った人でした。
敵国アッシリアの首都ニネベが滅びることを、ヨナは望んでいましたが、神様はニネベを救うためにヨナを遣わし、ヨナはしぶしぶニネベで宣教します。その結果ニネベの人たちは悔い改め、滅びから救われました。たとえ伝道する側に愛がなくても、その伝道によって救われる人はいます。語る人自身に力があるのではなく、語られる御言葉そのものに力があるからです。だから気分が乗っても乗らなくても、御言葉を宣べ伝えましょう。
神様がニネベを滅ぼすのをやめたことで、ヨナは神様に激しい怒りをぶつけます。それは神様から見たら見当違いな怒りでしたが、神様は怒ることなくそれを受けとめました。わたしたちも神様に対して見当違いな怒りをぶつけることがあります。でも神様はその怒りを受けとめてくださいます。なぜでしょうか?それは御子イエス様の十字架があるからです。「天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられた」(ルカ9:51)。イエス様は強い覚悟でエルサレムに向かい、わたしたちの身代わりに十字架で死なれ、よみがえられました。この十字架と復活のおかげで、わたしたちは安心して神様に怒りをぶつけることが出来るのです。
ルカ9:57節以降に、「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」(9:62)等、一見厳しい言葉が書かれています。これらの言葉は、わたしたちがこの世との関係を断ち切ることが出来ないこと、どうしてもこの世のことを優先してしまう者であることを教えています。そして、だからこそイエス様の十字架が必要であることを教えてくれているのです。このイエス様の十字架と復活があるから、わたしたちは安心して怒ることが出来、安心して祈ることが出来ます。そしてこのように弱く、罪深い者でありながらも主に信頼し、安心して怒り、安心して祈る者を、イエス様は喜んで、弟子として用いてくださいます。

(永田 令牧師)