誘惑に陥らないよう祈っていなさい

「誘惑に陥らないよう祈っていなさい」  2019/4/14

ゼカリヤ9:9~10
ルカ22:39~46

今日の箇所は十字架の前夜、イエスさまが苦しみつつ祈られる場面です。
イエスさまが恐れたのは人々の罪を引き受けた結果、罪人として神さまとの関係が断たれることでした。しかし、「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と祈られます。自分の願いをどうしてもかなえて下さいではなく、神さまのお望みをなさってくださいと言われたのです。
これは信仰の本質が現れた言葉です。
人は自分では意識しなくても、何かを絶対の価値、判断の基準に選び、それ以外を相対的なものと考えます。多くの人にとって絶対とは自分です。信仰とは自分ではなく、神さまが絶対になることです。
イエスさまの祈りは次のプロセスに進みます。願いを言うことから、自分の思いを神さまの思いに一致させることです。祈りとは願いを発信するだけでなく、御心を確信する受信の働きでもあります。そして自分の思いを御心に合わせていきます。
さて、弟子たちは悲しみの果てに眠っていました。彼らは悲しみのときにこそ祈るべきなのに、悲しみに飲まれて祈り続けられなかったのです。神さまの御心を受信することもなく、悲しみ疲れて寝ていました。
イエスさまは言われました。「起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
弟子たちだけでなく、私たちもそこから祈らなければなりません。
エペソ6章にあるように、私たち一人一人が悪に打ち勝つことは世界の主権にかかわる神の戦いです。救いの御業がイエスさまの全身全霊をかけた戦いであったように、私たちが救いを全うすることは生涯をかけた戦いなのです。
イエスさまが命じられたように誘惑に陥らないように祈りましょう。そして、イエスさまが祈られたような祈りに進みましょう。

(井上 靖紹 長老)