百人隊長が信じた救い主

「百人隊長が信じた救い主」 2019/2/24

ルカ7:1~10

イエスさまのもとへ民の長老たちが来ました。ローマの百人隊長のしもべの病気を癒してほしいと言うのです。外国人からの頼まれごとなのに、彼らは熱心にお願いしました。
イエスさまは行こうとされましたが、百人隊長は、今度は友人たちを遣わして、おいでくださらないように言いました。「ただ、お言葉をいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」
彼は、初めはイエスさまに来ていただくつもりでしたが、途中でイエスさまは、神さまが遣わした救い主であることの意味を考えました。
イエスさまが病気を癒されるのは超能力とかではなく、軍人が命令に服従するように、病気も生命も服従する権威をもって命令するからです。
イエスさまを軍人にたとえるなら、国から全権を託された司令官です。百人隊長程度の自分がお出迎えしてよい方ではありません。彼はイエスさまの姿を見ないまま、イエスさまの権威を信じたのです。
本当に大切なことは目に見えないものです。
主権とか権威とか、目に見えるでしょうか。司令官が貧相な小男だからといって、言うことを聞かなかったりできるでしょうか。ナポレオンが27歳で司令官になったとき、若くて背も低い彼を兵士らは「ちび伍長」と呼びました。しかしナポレオンが命令を下すと従いました。目に見える姿かたちより、目に見えない権威こそが重要だからです。
イエスさまは百人隊長の言葉を聞いて驚かれ、「このような立派な信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」と言われました。
使いに行った人たちが家に帰ると、しもべはもうよくなっていました。
コリント人への手紙第二に「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」とあります。
信仰を持ち続けるために、本当に大切なこと、見えないことに目を留める者でありたいと思います。 (井上 靖紹  長老)