イエスは主です

「イエスは主です」 2019/1/20

Ⅰコリント12:1~11
ルカ4:16~32

今日はイエス様が故郷ナザレで福音を語られた箇所です。「イエスは・・いつものとおり安息日に会堂に入り・・」とあります(ルカ4:16)。ナザレでの30年間、イエス様は安息日に「いつも」会堂で父なる神様を礼拝しておられたのです。わたしたちも礼拝に慣れを感じてしまっているかもしれません。しかし「いつものとおり」礼拝に出席し、「いつものとおり」御言葉を聞き、祈り、賛美する・・。このことが信仰生活を揺るぎないものにしていくのです。
ナザレの会堂でイエス様はイザヤ書61章を朗読されました。それは「捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを」宣言する、恵みの約束でした。そしてイエス様は「きょう、聖書のこのみことばが実現した。」と言われました。十字架と復活によってわたしたちを罪の牢獄から解き放ち、霊の目を開くために、イエス様は来てくださいました。誰でも自分の罪を認め、イエス様を心にお迎えするならば、このイザヤの預言通りのことがその身に起こります。
ところがナザレの人達は自分たちの知識、すなわち「ただの大工のせがれに何が出来る」、という考えを変えようとしませんでした。わたしたちにも、このようにかたくなで自分の過ちを認めようとしない性質があります。そんなわたしたちの固い心を変え、新しい世界へ導いてくださるお方、それが聖霊様です。「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(Ⅰコリント12:3)。岩のように固いわたしたちの心に、聖霊様は御言葉を通して働きかけ、イエス様が救い主であり、また人生の主であることを不思議とわからせてくださいます。
そしてこの気づきは、一生に一度だけでなく何度も繰り返されるものです。信仰生活は「主よ、感謝します」と「やっぱり信じられません」の繰り返しです。でもその繰り返しの中で少しづつ、わたしたちは成長していくのです。ちょうど「らせん階段」で同じ所をぐるぐる回りながら、少しづつ上に昇っていくように。これが聖霊様の働きです。そのためにこれからも「いつものとおり」主を礼拝しましょう。(永田 令  牧師)