たとえ天地が滅びても

「たとえ天地が滅びても」 2018/11/25

マルコ13:24~31

今日は聖霊降臨後最終主日。教会暦で1年の最後の日曜日です。この日は礼拝で「世界の終わり」についての聖書箇所を読むことになっています。
マルコ13章には、「キリストの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしこそキリストだ』と言って、多くの人を惑わす。」「戦争のことや戦争のうわさを聞く」「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる」そして「方々に地震があり、飢饉も起こる」「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされる」等、世界の終わりの様々な現象について書かれています。しかし一番中心的なことは「人の子(イエスキリスト)が雲に乗って来る」ことです。これはイエス様の「セカンドアドベント」(2回目の到来)です。その目的は「罪人を裁き、選ばれた人を天に引き上げること」です。
いったい誰が選ばれるのでしょうか?善行を積んだ人でしょうか?親切な人でしょうか?「きょうから良い人になります」と決めて、それを実行する人でしょうか?そんな人は一人もいません。誰も自分のがんばりや行いによっては天に引き上げられることは出来ないのです。
しかしそんなわたしたちを救うために、イエス様は一度地上に来られました。これが「ファーストアドベント」すなわちイエス様の誕生です。その目的は、わたしたち人間を救うために、人間の罪を背負って身代わりに死ぬことでした。人を傷つけ、神様をおそれず感謝もしない、そんなわたしたちのすべての罪を、イエス様は背負い、十字架で死んでくださり、よみがえられました。このイエス様を救い主と信じる人は、罪がゆるされ、天に引き上げられる者となります。これがイエス様の約束のことばです。この約束に立つ人は、何が起こっても、いつ終わりがやって来ても、恐れる必要はありません。
「たとえ山が崩れ去っても、人々が叫ぶ時にも、決して決して泣きはしない。あなたが共にいるから」(「Stand by Me」より)(永田 令 牧師)