開かれた口で

「開かれた口で」 2018/9/16

ヤコブ1:19~27
マルコ7:31~37

人生には「まさか」「なぜこんなことが」と思うことがたくさんあります。それに対して、神様に反抗したり自分の願いを貫こうとするのではなく、神様の主権に身を任せるのが、わたしたち人間のとるべき態度です。
今日の福音書は、ツロからガリラヤに帰ってきたイエス様が、一人の、耳が聞こえず口のきけない男性を聞こえるようにし、しゃべれるようにされた箇所です。この男性はいやされるために何もしていません。ただ反抗せずに、イエス様のなさることに身をゆだねただけです。イエス様が彼に言われた「開け」という言葉も、正確に訳すと「開かれよ」という受け身です。「あなたは自分では耳も口も開けない。わたしが開く。あなたはただわたしに身を任せなさい」ということです。わたしたちも、たとえ納得できなくてもイエス様のなさることを受け入れる・・それが正しい態度です。
しかし、頭ではわかっていても、それが出来ないのがわたしたちです。「たとえみこころでなくても、わたしの願い通りにしてください!」と言ってしまうのがわたしたちです。イエス様はそんなわたしたちを罰するのではなく、ご自身が十字架にかかって、わたしたちの代わりに罰を受けてくださいました。そのおかげでわたしたちは罪がゆるされ、口や耳が開かれたのです。それはただ肉体的に開かれたという意味ではなく、神様の御声を聞く耳が開かれ、神様の言葉を語る口が開かれたという意味です。
「聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」(ヤコブ1:19)。開かれた口で流ちょうに人を責めるのではなく、怒る前に間をおいて、わたしたちのために死んでよみがえられたイエス様の救いの言葉を聞きましょう。そのとき賛美が口からあふれ、人に対する言葉も変わって来ます。これこそ開かれた耳、開かれた口です。この口で主の愛を歌い、主の恵みを語り伝えましょう。「わがくちびるも わが歌声も み名をばたたえ みさかえ語る 清き器ぞ」(教会讃美歌391番3節)。 (永田 令 牧師)