その人は知らない

「その人は知らない」 2018/7/15

Ⅱコリント6:1~10
マルコ4:26~34

ノルウェー&フィンランド出張のためのお祈りを感謝します。どちらもキリスト教国です。しかし今日の福音書に出てくる「神の国」というのはキリスト教国のことではありません。神様を信じ、おそれ、神様の御言葉を待ち望む人の中に、既に神の国はあります。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません」(マルコ4:26-27)。神の国は、種をまいた人が自分でも知らないうちに芽を出して成長します。「その人自身も知らない」というのは、「神の救いは、わたしたちのあずかり知らないところで起こる」ということです。わたしたちが何かを成し遂げる前に、御子イエス様が十字架にかかって死なれ、復活されたことによって、神の国が実現しました。これこそ福音です。
31節に、神の国の種は「からし種」のように小さな種であると書かれています。からし種はケシ粒のように小さいけれど、成長すると4メートルほどの木になります。その種にすさまじい生命力があるからです。この種は「神様の御言葉」を表しています。わたしたちも、ますます熱心に聖書の言葉を学びましょう。しかも聖書に「混じり物」・・つまり人間の頭で理解できるような勝手な解釈を加えるのではなく、書いてあるままを素直に受け入れましょう。これがノルウェーやフィンランドの先達からわたしたちが受け継いだ信仰です。
最後に、からし種の小ささは、わたしたちの小ささをも表しています。わたしたちは小さく、罪深い者です。しかし素直に御言葉を信じ、イエス様の十字架に依り頼む者は、「死にそうでも、見よ、生きている」(Ⅱコリント6:9)。こうして小さなわたしたちが大きな木になり、鳥が巣を作って憩うほどになる・・これが十字架のイエス様の不思議な力です。そのことを信じて今週も歩んで参りましょう。 (永田 令 牧師)