見たので、証し、伝えます

「見たので、証し、伝えます」 2018/4/15

Ⅰヨハネ1:1~2:2
ヨハネ21:1~14

キリスト教会が2000年以上にわたって存続し、今も世界中で福音が宣べ伝えられているのはなぜでしょうか?それはイエスキリストが歴史上実際におられた方であり、実際に十字架で死なれ、実際に復活された、という「事実」の上に教会が立っているからです。
西暦80~90年頃、「グノーシス主義」という異端が教会に入り込んでいました。彼らは「肉体は悪、魂は善。だから聖なる神が汚れた肉体を持つはずがない」と主張し、イエスキリストが肉体を持つ存在であったことを否定しました。しかしヨハネは「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」(Ⅰヨハネ1:1)と述べ、イエス様がリアルな存在であり、自分自身もイエス様を見、声を聞き、手で触ったことを強調しています。またヨハネは福音書の中でも、復活したイエス様との出会いの場面を詳細に書き、そのリアリティーを伝えています。
イエス様の十字架と復活という「事実」がまずあり、そこから「信仰」が生まれ、その後、喜び等の「感情」がついてくるのです。「感情」を優先させて「“救われた感じ”がしないから自分には信仰がない」と言ってはいけません。感情ではなく、聖書が告げているイエス様の十字架と復活の事実を土台としましょう。その十字架と復活を「自分のためだった」と認める時、わたしたちは永遠のいのちを得、大きな喜びに包まれます。しかしたとえ喜びがない場合でも、イエス様があなたのために死んでよみがえられたという「事実」は変わりません。だからその事実によりすがって、安心して日々歩めばいいのです。その姿が、家族や周りの人々にイエス様を証しし、イエス様を伝えることになります。その人は知らないうちにイエス様を見ており、「私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。」(Ⅰヨハネ1:2)という御言葉を実践しているのです。 (永田 令牧師)