いい風に吹かれないと

「いい風に吹かれないと」 2018/3/18

エペソ3:14~21
ヨハネ12:36b~50

「見ているけど見ていない」、・・ということが人間にはあります。イエス様の時代のユダヤ人たちは、イエス様を目で見、イエス様の奇跡も見ました。けれども彼らはイエス様を、ただ便利な王様として見ただけで、「自分を罪から救ってくれる救い主」とは見ませんでした。イエス様から700年以上前にイザヤが預言した通りです。
しかしイザヤ自身は、イエス様を肉眼で見てはいないのに「イザヤはイエスの栄光を見た」(ヨハネ12:41)とあります。しかも「彼(イエス様)は私たちのそむきの罪のために刺し通された」とまで正確に見ていました(イザヤ53章)。それはイザヤが自分に絶望し、ひたすら神様にすがったからです。自分に頼らず、へりくだって神様に祈り、御言葉に耳を傾ける時、人は救い主イエス様を目の前に見ます。いや、見るだけではなく、イエス様がその人の中に住まわれ、神の国の偉大な働きをさせてくださいます。これこそ聖霊様の働きです。「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように」(エペソ3:16)。「御霊」は「風」とも訳せます。聖霊様の風によってわたしたちの内なる人は強くなります。
俳優の高倉健さんは「いい風に吹かれないと人は優しくできません。でもいい風に吹かれるためには、いい風が吹いている所に行かないとだめです。」と言いました。わたしたちにとって「いい風が吹いている所」とはどこでしょうか?それは教会です。1週間さまざまな場所で戦って、傷ついて、罪も犯して、教会に帰ってくる。そして兄弟姉妹と共に御言葉を聞き、互いに祈り合う。これが「いい風が吹いている所」です。この風によってわたしたちは、だんだんとイエス様に似た者になっていきます。そして周りの人々にも、いい風を感じてもらえるようになります。そのことを信じて、今週も歩んで参りましょう。 (永田 令牧師)