光と影

「光と影」 2018/2/11

 Ⅱコリント3:12~18
 マルコ9:2~9

今日は変容主日。イエス様の姿が「変容」、つまり変わって、真っ白に光り輝いた日です。しかしある神学者は、「これを変容と呼ぶのは間違っている。本当の偉大な変容は、神が人間の形をとったベツレヘムにおいて既に起こったのだ」と言います。つまり栄光に輝くイエス様こそ本来のイエス様の姿であり、今日の箇所はその姿を一瞬お見せになっただけなのです。いつか再び地上に来られる時、イエス様は本来の栄光の姿で来られます。そして罪びとを裁かれます。しかし、それまではイエス様は栄光を隠され、人々が好き勝手にご自分を評価するのを許しておられます。それは一人でも多くの人を救うためです。
イエス様は栄光を捨てて、すべての人の罪を背負って十字架で死なれ、3日目に復活されました。今日のイエス様の姿は、復活されたイエス様の栄光を表しています。「復活によって輝く」・・。これはイエス様だけでなく、イエス様を信じて洗礼を受けた人にも言えます。洗礼によって、人は罪びととして一度死に、新しい命に復活します。そしてイエス様の光を反射させて輝きます。
今日の箇所に、旧約聖書に出てきたモーセとエリヤが登場します。ずっと昔に死んだ人たちですが、きょうイエス様と共に現れ、共に輝きました。このように、イエス様と結ばれている人は、たとえ死んでも生き、そして輝きます。それはイエス様と同じ光です。正しさによって人を恐がらせる光ではなく、愛によって人をいやす光です。「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
たくさん光を反射させるためには、たくさん光を浴びる必要があります。月が太陽の光を存分に受けて輝くように、私たちも御言葉と聖餐によってイエス様の光を存分にいただきましょう。そして、もし罪の影が光を隠すような時は、素直に悔い改めて、もう一度十字架を見上げて立ち上がりましょう。その時わたしたちは再び輝き始め、その光で人々をいやすことが出来ます。 (永田 令牧師)