福音のはじめ

「福音のはじめ」 2017/12/10

イザヤ40:1~8
マルコ1:1~8

今日は礼拝に香港からのお客様をお迎えしました。香港では「ルーテル教会」のことを「信義会」と言います。ルターが再発見した「人は信仰によって義とされる」という福音の真理を、そのまま団体名にしているわけです。これは「ルーテル教会」よりも良い名だと思います。「ルター」ではなく「聖書」そのものが、この真理を教えているからです。
マルコの福音書は、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」という言葉で始まります。「福音」とは「良い知らせ」という意味です。それを聞けば誰もが「ほんとですか!?やったー!!」と叫び出したくなるような喜びの知らせ、それが「福音」です。
では「福音のはじめ」として2節以降に何が書かれているかというと、「喜び」とは程遠い、「悔い改めよ!」という、バプテスマのヨハネの厳しい言葉でした。ルターの宗教改革も「悔い改めよ!」という言葉から始まったように、「悔い改め」こそが「福音のはじめ」なのです。イエス様は、わたしたちの罪をすべて背負って死んで下さり、死からよみがえられました。わたしたちが心から悔い改めてイエス様を信じる時、罪は赦され、暗闇に光が差し込み、荒れ野に道が出来ます(イザヤ40:3)。
ただ福音は、信じて受け入れなければ福音にはなりません。ユダヤ人は神様から「あなたの労苦は終わり、その罪は償われた」と告げられていました(イザヤ40:2)が、それを信じなかったので、今も救い主を待ち続けており、今も労苦と戦いと罪の中にいます。しかし罪の償いは、事実イエス様の十字架によって終わりました。あとはそれを信じるだけです。それを信じて「ほんとですか!?やったー!!」と喜べばいいのです。その喜びの生き方が、世間に大きなインパクトを与えます。そしてその喜びを原動力にして、自分に与えられている務めを一つ一つ忠実に果たすこと、これが神様のみこころです。わたしたちもそのような生き方をして参りましょう。(永田 令 牧師)