天国の国民になるということ

「天国の国民になるということ」 2023/5/14 復活節第6主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書14章15~21節

本日の箇所は、最後の晩餐が佳境に入った場面です。ダヴィンチの絵が有名です。彼以前の画家は、ユダだけを他の弟子たちの反対側に描きましたが、ダヴィンチは、ユダと他の弟子たちを同じ側に座らせました。イエス様を裏切る点では皆同じ、ということです。ただユダ以外の11人は「それでもイエス様とともにいたい」と願っている人たちでした。この11人と、今この福音書を読んでいる読者に、イエス様は直接語りかけておられるのです。

ここでイエス様は、ご自分が弟子たち(読者を含む)から取り去られていくとおっしゃいます。しかしその後もイエス様との絆は変わることがなく、やがて来られる助け主、聖霊によって、その絆はより強くなることが語られます。つまり私たちは、現世にいるにもかかわらずイエス様と共におり、父なる神様と共にいる。すなわち、天の御国がこの地上にすでにあるということです。ルカ17:21でイエス様が「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」おっしゃっている通りです。

本日の箇所には、天国の国民であるための要件が語られています。それは「イエス様を愛する」ことです(15)。私たちがイエス様を愛していることは、イエス様の戒めを心に保ち、それを行うことによって明らかにされます。愛の反対とは一体何でしょうか?それは。憎しみでも嫌悪でもなく「無関心」だとマザー・テレサは言いました。イエス様に関心を持たない人、イエス様を自分と関係がないと思う人はイエス様を愛していません。逆にイエス様を愛している人は、イエス様との関係を保とうとしている人です。ヨハネの1章に、イエス様は「ことば」であると書かれています。今イエス様は、ことばとして私たちの間に住まわれています。だから私たちはイエス様のことばを忘れず、その戒めを守らなくてはなりません。そのために、私たちに聖霊が与えられました。聖霊によって私たちはこの世に居ながら天国に属する者となるのです。たとえ罪を犯しても、イエス様はその人とのつながりを保ってくださいます。イエス様が十字架で死なれたとき、私たちの古い人も十字架で死にました。今、私たちはよみがえられたイエス様とともに、新しい人として新しい命を生きています。それこそ天国の国民であるということです。

(井上靖紹長老)