光の結ぶ実

「光の結ぶ実」 2023/3/19 四旬節第4主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書9章1~25節

今日の聖書はヨハネの福音書に出てくる7つの「しるし」のうちの6番目のしるしです。ヨハネが「奇跡」と書かずに「しるし」と書いたのは、これらの奇跡が「イエス様が神の子、救い主」であることの「しるし(証拠)」だからです。

きょうのしるしは、イエス様が「生まれつき目が見えなかった人の目を開いた」という出来事です。しかしこれはただ肉体の目が開いたという話ではなく、闇の中を歩いていた者が「イエス様は救い主である」ということに目が開かれていく姿を、今日の箇所は見せているのです。この人が「生まれつき」盲人だったように、人は「生まれつき」罪びとです。だから罪を犯すのであって、「罪を犯したから罪びとになる」のではありません。

イエス様は泥を作って彼の目に塗り、「シロアム(遣わされた者)の池に行って洗いなさい」と言われ、その通りにすると彼の目は見えるようになりました。これは「神から遣わされたイエスのもとに行って洗礼を受けると罪が清められ、霊の目が開かれる」ということを示しています。まず彼の肉眼が開かれました。しかし、その後の彼とパリサイ人たちとのやりとりを通して、どんどん彼の霊の目が開かれて「イエス様は救い主」という告白に至る姿と、反対にパリサイ人が、肉眼は開いていても救い主を見ようとしない姿をヨハネは対比させます。パリサイ人は「安息日は一切仕事をしてはならない」ととらえ、人を助けることも病気を癒すことも禁じました。しかし安息日はまず自分の心と体を休め、一週間の罪を神様にゆるしていただき、満たされた状態で隣人に仕える者となるための日です。今日のパリサイ人たちは、隣人に仕えるどころか、盲人だった人を見下げ、その両親にさえ尋問しました。一方、盲人だった人は、パリサイ人の脅しにひるむことなく、イエス様を救い主と告白しました。

わたしたちもこのパリサイ人のように、人を見下げたり、「自分が正しい」と主張する者です。だからいつも悔い改めて、そんなわたしたちのためにイエス様が身代わりに十字架にかかってくださったことを感謝し、愛を持って人々に仕え、イエス様が救い主であることを伝えましょう。「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」(エペソ5:9)。

(永田 令牧師)