光と闇

「光と闇」 2022/11/20 聖霊降臨後最終主日礼拝メッセージ

ルカの福音書23章33~43節

きょうは教会暦では1年最後の日曜日、「永遠の王キリスト」の日です。普通この日は再臨(イエス・キリストが再び地上に来られること)の箇所を読むことが多いのですが、きょうはイエス様の十字架の箇所を読みました。十字架上のイエス様こそもっとも王様にふさわしい姿であり、それによってわたしたち罪びとが、暗闇から光の御国へと移されたのです。

今日の箇所に、イエス様の右と左で十字架にかけられた2人の犯罪人のことが記されています。一人は途中でイエス様を信じ、一人はイエス様をののしり続けました。まさに「光と闇」ほどの違いです。しかしこの2人の生き方に、それほど大きな違いはありません。2人とも極悪人として生き、十字架刑に処されました。2人を分けたのは、「自分が闇の中にいることを認めるか認めないか」の違いです。十字架の上でイエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られました(34)。「何をしているかわからない」のは、直接イエス様を十字架につけるために行動した人々だけでなく、その場にいた「傍観者たち」もそうでした。「何をしているかわからない」、この「わからなさ」こそ「闇」であり、この闇の中に、すべての人はいます。わたしたちもその中に含まれています。だから本当ならば闇の中で滅びるはずでした。

ところが王様であるイエス様が天から地上にくだり、十字架につけられました。その姿を見て犯罪人の一人は、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」(42)と言いました。自分の罪を認め、イエス様の支配にゆだねたのです。「国」とは、どこかの場所にある領土や国家のことではなく、「支配」のことです。「自分はイエス様の支配の下にある」と認めた人は、既にイエス様の国にいます。この犯罪人にイエス様はおっしゃいました。「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(43)。イエス様の支配を認めた時から、彼はもうパラダイス(天国)に入っていたのでした。幸い、今わたしたちは十字架についていません。手も足も動きます。だからこの手足を神様と隣人のために使いましょう。新たに誰かが闇から光へ移されるために。

(永田 令 牧師)