聖書は永遠のもの

「聖書は永遠のもの」 2022/11/13 聖霊降臨後第23主日礼拝メッセージ

ルカの福音書21章5~19節

来週(11/20)は教会暦では1年最後の日曜日です。例年この時期にはイエス様の再臨、つまり世界の終わりについての箇所を読むことになっています。世界の終わりが近づくと、ニセキリストが大勢現れたり、戦争や暴動や大地震が起こったり、疫病やききんが起こったりする…と今日の聖書に書かれています(8~11節)。これらを見ると、まさしく現在の世界そのものではないか・・という気がします。しかしこれらは現在に限らず、今までの歴史の中でも起こりました。例えば「疫病」は現在のコロナだけでなく、約500年前にもペストが大流行しました。こういうことが起こるたびに人々は「いよいよ再臨だ」と言ったり、「再臨など来ない」と言ったりしたのです。

聖書の時間感覚は、わたしたち人間の時間感覚と違います。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」(Ⅱペテロ3:8)。つまり戦争も、疫病も、ニセキリストも、「歴史上の一点」ではなく、「常にある」ということです。

今日の箇所でイエス様が一番最初に語られたのはエルサレム神殿崩壊の預言でした。これは具体的には西暦70年に実現しました。しかし「今も続いている」とも言えます。それは人間の「心にそびえ立つ神殿」です。かつて神殿で動物のいけにえが捧げられていたように、今も神様に近づくために犠牲を払わなければとか、難行苦行をしなければ‥と思っているなら、そんな神殿は壊されなければなりません。イエス様が既にご自分のいのちをいけにえとして十字架で捧げてくださいましたから、もういけにえは必要ないのです。ただ自分の罪を認め、悔い改めてイエス様を救い主として信じるなら、古い神殿は壊され、聖霊様による新しい神殿が建ちます。それは何が起こっても安全な神殿です。イエス様の十字架の血潮で守られているため、たとえ火の中に投じられてれても「髪の毛一筋も失われることはありません」(18)。だから安心して主を待ち望みながら、一日一日「たゆむことなく善を行って(Ⅱテサロニケ3:13)」参りましょう。「聖書は古いものでもなければ、新しいものでもない。聖書は永遠のものである」<マルチン・ルター> 

(永田 令 牧師)