平地の福音

「平地の福音」 2022/11/6 召天者合同記念礼拝メッセージ

ルカの福音書6章20~31節

きょうは3年ぶりにご遺族をお招きしての召天者記念礼拝です。コロナはわたしたちに多くのマイナスをもたらしましたが、「神はすべてを益としてくださる」と聖書にあります。きょうの箇所も「マイナスがプラスになる」ことを教えています。「貧しい者は幸いだ。神の国はあなたがたのものだから。飢えている者は幸いだ。やがてあなたがたは満ち足りるから。…富む者は哀れだ。慰めをすでに受けているから。」(ルカ6:20-21、24)。なぜ貧しい者が幸いで、富む者が哀れなのでしょうか?神様はわたしたちがおなかをすかせているのを見て喜ぶようなお方なのでしょうか?いいえ、そうではありません。

まず第一に、お金や人など目に見えるものに頼る前に、神様ご自身に頼ることの大切さを教えるためです。「人生には上り坂、下り坂、マサカ、という三つの坂がある」(柏木哲夫)。しかし神様ご自身に頼る者は、どんな「マサカ」に直面しても、揺るがされることはありません。

もう一つは、「他者」に目を向けて行動すべきことを教えるためです。イエス様はユダヤ教の「自分にしてほしくないことは、人にもしてはいけません」という消極的な教えではなく「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい」(31)と言われました。これを徹底的に実行すると、当然貧しくなり、時間もなくなります。その時こそ「あなたは幸せだ」ということです。今日とほぼ同じ教えがマタイ5章にあります。こちらは山の上で語られたので「山上の説教」と呼ばれ、今日の言葉は平地で語られたので「平地の説教」と呼ばれます。「山上」は精神面が重視され、「平地」は実際の行動が重視されています。しかし、わたしたちには罪があって、最後は「自分が一番大事」です。今日の言葉通り行動できる人は一人しかいません。イエスキリストです。イエス様は最も高い神の御座から、わたしたちの立つ平地に降りてこられ、十字架刑という最悪の処刑で死なれました。わたしたちの身代わりにです。そして復活されました。これを自分のためだったと信じる時、罪がゆるされ、神の国がその人のものとなります。だから「幸いな人」です。そしてその人自身も変えられ、へりくだって人々のために「行動」する者となります。これが「平地の福音」なのです。

(永田 令 牧師)