急いで降りる

「急いで降りる」 2022/10/30 聖霊降臨後第21主日 宗教改革日 礼拝メッセージ

ルカの福音書19章1~10節

今日はルターの宗教改革主日です。このルターという人は、人間がその罪から救われ義とされるのは、信仰によって神様から一方的に与えられる恵みにたよる以外にはない、ということを聖書の御言葉の中に発見したのです。

 さて、今日の聖書日課の中のイザヤ1:11~15では、「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう」と主は言われ、人間の偽善を示されます。私たちが、どんなに神様を喜ばせようとしても、人間のしていることには必ず悪があり、それを正さずして行うことはすべて偽善だと神様は言われます。そして、この偽善、悪事に対して、イザヤ1:16で、神様は直接的に人に悪事をやめよと言われます。そこに人間に対する忖度はなく、間違った優しさはありません。

 そして、神様は、具体的な行動を命令されます。善をなすことは、ただの思い込みや想像みたいなものではなく、具体的な行動です。イザヤ1:18を見ますと、神様は、たとい民の罪が如何に重くても、真っ白に赦される時が来ると言われます。それは、人間が罪を犯さないようになるからではなく、神様の一方的な恵みによるということです。

 今日の詩篇32:5では、「自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。」と罪を告白して神様に喜ばれます。ザアカイも隠さず、はっきり「私がだまし取った」とイエス様に告白しています。でも、たいていの人間は、その悪を180度転換して、一見、正しいものに言い換えようとします。大切なことは、自分の過ちを認めて相手に謝罪し、間違いは間違いとして神様の前に告白し、赦しを願うことです。

 そして、間違ってはならないのは、ザアカイが良いことをしたからイエス様が来てくださったのではなく、イエス様は、「・・・きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われたのです。泊まることにしてあるという、一方的な神様からの約束です。

 そして、ザアカイが木に登ったことは、イエス様がザアカイにお声をかけるきっかけに過ぎなかったのです。私たちもザアカイのように、日常で、いつでもイエス様を迎え入れるように行動することが大切です。イエス様御自身が、ルカ19:10で「 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と言われています。イエス様は、その罪によって滅びへと向かう人々を探し求め、救うために来られました。ザアカイの様に、神様が私たちを捉え、導いて下さることを信じ、イエス様の愛に深く信頼して、自分を変えて頂けるように祈りましょう。

(福田学師)