わたしはあなたの名を呼んだ

「わたしはあなたの名を呼んだ」 2022/6/19 聖霊降臨後第2主日礼拝メッセージ

ルカの福音書8章26~39節

イエス様と弟子たちは船でガリラヤ湖を渡り、「ゲラサ人の地方」に着きました。この直前、弟子たちは船の上で驚くべき経験をしました。イエス様がたった一言で嵐を静めたのです。「この方は本当に神様ではないか?」と弟子たちが思い始めた瞬間でした。

ゲラサ人の地に着くと、悪霊につかれた男の人がいました。長い間着物も着けず、墓場に住んでいました。ひどく狂暴だったので、町の人たちが墓場につなぎ止め、監視までしていました。それでも彼は鎖をひきちぎり、悪霊によって荒野に追いやられていました。彼の中に多数の悪霊がおり、彼を好き勝手に「操縦」していたのでした。何と恐ろしいことでしょうか?

イエス様はこの人に「何という名か」とお尋ねになりました。自分が幼い頃から呼ばれていた彼自身の名前を、イエス様は思い出させようとされたのです。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの」(イザヤ43:1)。彼が今どんな姿であっても、イエス様は彼の本質を愛しておられたのです。しかし彼は答えました。「レギオンです」。これは彼の名前ではなく、悪霊たちの名前です。ここまで悪霊にむしばまれていたこの男をイエス様はあわれみ、彼から悪霊を追い出されました。悪霊たちは豚の群れに入り、豚は湖になだれ込んで溺れ死んでしまいました。

この出来事は架空の話でなく実話です。悪霊は今もこの地上に影響を及ぼしています。「自分は悪霊とは関係ない」と言えるでしょうか?今日の聖書に出て来た男ほど直接的ではなくても、ゲラサ地方の人々のように仲間を墓場に縛り付けて監視するような冷たさはないでしょうか?また彼が悪霊を追い出してもらった後も、彼の救いを喜ぶよりも、むしろ豚の大量死による損失の方を重視して、イエス様をゲラサの地から追い出したこのゲラサの住民のような所が、わたしたちにもあるのではないでしょうか? しかしイエス様はそんなわたしたちと「入れ替わって」十字架で死んでくださいました。悪霊につかれた人のような裸の姿で。このお方を自分の救い主と信じる時、悪霊ではなく聖霊様がその人に入り、いつまでも一緒にいてくださいます。そしてイエス様がどれほど愛のお方であるかを、人々に伝える人となるのです。

(永田 令 牧師)