洗礼を受けたあと

「洗礼を受けたあと」 2022/1/9 顕現後第一(主の洗礼)主日礼拝メッセージ

ルカの福音書3章15~17節、21~22節

きょうはイエス様が洗礼者ヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになったことを記念する日です。ヨハネのバプテスマとはどのようなものでしょうか?それは「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマ」でした(ルカ3:3)。「水によって罪を清める」という儀式自体は、ヨハネが登場する前からありました。旧約聖書にも「どのような人の死体にでも触れる者は、七日間、汚れる。その者は三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない」(民数記19:11-12)等の記述があります。そしてこれと同じような儀式は他の宗教にもあります。神社の「手水舎」などがそうです。しかし、実際は「水」で体の汚れは落とせても、心や魂の汚れを落とすことは出来ません。大事なのは「水」そのものではなく、神様の前に本気で悔い改めることです。悔い改めのない、形だけの「水きよめ」を強要したパリサイ人や律法学者を、イエス様は厳しく非難しました。その一方で、ヨハネの洗礼は高く評価しました。それはヨハネの洗礼が真に「悔い改めに基づくバプテスマ」(3:3)だったからです。

しかし、そのイエス様がヨハネから洗礼を受けようとされた時、ヨハネはあわてて止めました。神の御子であるイエス様は罪のないお方であり、「悔い改め」る必要がないからです。しかしイエス様はヨハネを説得して洗礼をお受けになりました。それは、悔い改めが必要なわたしたちの代わりの罪びととして十字架で神様の罰を受けるためでした。誰でもイエス様を救い主と信じて洗礼を受けるなら、罪の赦しと永遠のいのち、そして聖霊による新しい人生が与えられます。

ヨハネから洗礼を受けたあと、イエス様は「祈っておられた」とルカは記録しています。すると天が開け、聖霊がイエス様にくだり、「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」という声が天からしたのです。わたしたちも洗礼を受けたら自動的に良い人間になるのではなく、洗礼によってますます悔い改め、絶えず祈る者となる必要があります。その時、天が開け、聖霊様に満たされ、天から「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」という声を、魂で聞くことが出来るのです。

(永田 令 牧師)