人知を超える神の救い

「人知を超える神の救い」 2021/7/11 聖霊降臨後第7主日礼拝メッセージ

マルコ6:14-29

今日は、自分の心を見つめて自分の罪を深く考える時を持ちたいと思います。さて、今日のマルコの福音書にあるように、ヘロデは気弱で愚かさを感じる人間です。彼の罪の根っこには、王としての虚栄心がありました。ヘロデヤの罪は、彼女の恨みがさらに人の弱さを使って命を奪うという恐ろしい罪でした。私たちが日常的に心の中で犯す罪も、憎しみ、ねたみなど、諸々の罪があります。ある姉妹からお聞きした、公に語ってもよいとお許しを得たお話があります。一瞬の思いと行動の結果、生涯にわたる重荷を背負って苦しみの道を歩むことになり、やがてイエスの御許へと導かれた方のお話です。この姉妹のお父さんが、戦争中、多くの仲間たちと捕虜になりました。そして、米兵から、お前たちの中にクリスチャンがいるかと聞かれ、お父さんはとっさに手を挙げました。でも、お父さんはクリスチャンではなかったのです。仲間たちはどこかに連れて行かれ殺されました。なぜ手を挙げたのか。それは、彼が子どもの頃、福音丸という瀬戸内海を回っていた福音伝道の船を知っており、心の中にその船とキリスト教が残っていたからです。その後、彼の人生は大変苦しいものになりました。自分は嘘をついて自分だけ助かった卑怯な人間だという思いにさいなまれ続けました。妻も娘もクリスチャンになりますが、彼は決して洗礼を受けませんでした。でも、そのままでは彼の人生は終わらなかったのです。エペソ人への手紙1:3~10にあるように、神は、私たちを世界の基が置かれる前から傷の無いものにしようと選んで下さり、イエス様によってその子どもにしようと決めて下さっています。彼の人生の終わりが近づいた時、時がついに満ちたのです。病の床で、お父さんは昔の辛い経験を牧師に告白し、洗礼を受けて、真の平安の中へ導かれました。神は、人間の思いをはるかに超えて、恵みにより、全き赦しを与えられたのです。たとえ自分で自分が許せないとしても、イエス様の十字架の福音を信じることによって、神は赦して下さり、絶えず私たちに寄り添って下さるのです。

(福田学 先生)