すべては贈り物

「すべては贈り物」 2021/7/4 聖霊降臨後第6主日礼拝メッセージ

マルコ6:1-13

イエス様は、幼少期から30歳までナザレという村で過ごしました。そのナザレでイエス様が教えを説かれた時、ナザレの人たちは、どんなにイエス様の知恵や奇跡を見聞きしても、まともに受けとめようとはしませんでした。「昔からよく知っているイエスが、どこでこんな力を手に入れたのか?」ということが不可解だったのです。

わたしたちも、自分が今までに得た知識や、積んできた経験などによって神様を理解しようとしても、できません。神様はわたしたち人間の理解をはるかに越えたお方です。イザヤ43:19に「見よ。わたしは新しい事をする」とあるように、わたしたちが見たことも聞いたこともないようなことを、神様はしてくださるのです。

では、そのように見たことも聞いたこともない神様のことを、どうやって理解できるのでしょうか?それは聖書を素直な気持ちで読むことによってです。「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい」(ヤコブ 1:21)。
ところが、この「素直に受け入れる」ということが、わたしたち人間には大変難しいのです。きょうの箇所の後半で、イエス様は、御言葉を伝える旅に弟子たちを送り出しますが、その時「杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。」と言われました(6:8)。「必要なものはちゃんと神様が与えてくださるから、信頼して行きなさい」ということです。ところが、現実にこれをやろうとしても出来ないのが人間です。やはりどこかで疑ってしまうのです。そのような者には最後に罰がくだります。しかしそんな不信仰なわたしたちを救うために、イエス様が代わりに十字架にかかって罰を受けてくださいました。そのおかげでわたしたちはゆるされ、救われました。これこそ人間には思いつかなかった「新しいこと」です。イエス様の弟子たちは、何度も疑い、過ちを犯し、イエス様に驚かれながらも、人々に悔い改めを語り、悪霊を追い出し、病気をいやすことが出来ました(6:12~13)。ナザレの人々と共にイエス様をやゆしていたイエス様の弟のヤコブやユダも、後にクリスチャンとなり、ヤコブの手紙、ユダの手紙を書きました。信仰も、主に仕える力も、すべて神様からの贈り物。感謝して受け取り、大いに主のお役に立ちましょう。

(永田令 牧師)