イエス様の母、イエス様の兄弟

「イエス様の母、イエス様の兄弟」 2021/6/6 聖霊降臨後第2主日礼拝

マルコ3:20-35

ある時、イエス様の母マリヤと兄弟たちが、イエス様の行動を奇異に思って連れ戻しに(=支配しに)やって来ました。しかしイエス様は「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか」(33節)と言われました。

以前、ニコデモという人にイエス様は「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われ、ニコデモは「もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」と答えました(ヨハネ3:4)。「母の胎から生まれる」というのは、まさしく親子の「肉のつながり」を指しています。マリヤがイエス様を連れ戻しに来たのも「肉のつながり」に頼ったからです。また現在のユダヤ人が他民族を攻撃するのも「自分たちはアブラハムの血族であり、神に選ばれた民族である」、という自負があるからです。しかし人は「母の胎から」ではなく「水と御霊によって」生まれなければ神の国に入ることはできません(ヨハネ3:5)。肉による誕生のままでは、マリヤやユダヤ人のように神に対して支配的になったり、人に対して攻撃的になったりします。

今日の箇所でイエス様は「聖霊を汚す者はだれでも永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます」と言われました(29節)。「聖霊を汚す」とは、わたしたちに「罪について、義について、さばきについて」(ヨハネ16:8)教えてくださる聖霊様を無視し、自分の良し悪しを勝手に判断してしまうことです。これは大きな罪であり、その先には「永遠の死」が待っています。しかしイエス様はその死を人間の代わりに引き受けて十字架で死んでくださり、復活されました。このイエス様を救い主として信じて洗礼を受ける時、人は「肉によって」ではなく「霊によって」誕生し、神様の子どもとして生まれ変わるのです。

こうして新しく生まれ変わった人は、聖霊様の力によって、神様の律法を行えるようになります。真心から父母を敬い、神をおそれ、人を助ける。このような人間本来の生き方は、「新しい誕生」によって初めて可能になります。これからも日々聖書を読み、その教えを家庭や職場で実践していきましょう。それこそイエス様から「わたしの母、わたしの兄弟」と呼んでいただける人です。

(永田 令 牧師)