後世への最大遺物

「後世への最大遺物」 2021/3/28 主日礼拝メッセージ

マルコ14:1-9

きょうは受難主日。今週の金曜日(2日)にイエス様は十字架にかけられます。
「祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった」(マルコ14:1)。この「けんめい」というのは、「握りしめて離さない」という意味の言葉です。祭司長、律法学者たちのイエス様への殺意は日を追うごとに増大し、もはや「握りしめて離さない」ほどになっていました。しかし彼らはただイエス様を殺すのではなく「自分たちの立場が不利にならないように」殺そうと考えました。その表向きの理由は「イエスは神を冒涜した」というものでしたが、実は彼らは神様のことなど考えておらず、ただ自分たちの立場や権威を守ることしか考えていませんでした。これが人間の罪です。

今日の福音書で、一人の女性がイエス様の頭に香油を注ぎました。それは300万円もする、高価な香油でした。弟子たちは「香油をむだにした」と言って彼女を厳しく責めました。ずっとイエス様の教えを受けていた弟子たちでさえ、彼女の行為が理解できなかったのです。それはわたしたちも同じです。「神様を信じています」と言いながら、神様のためにお金や時間を使うことを「むだなこと」と思ってしまうのです。

この女性はなぜこのようなことが出来たのでしょうか?「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」(マルコ14:8)。彼女は「イエス様はもうすぐ死のうとしている。その死はわたしの罪をゆるす、非常に価値ある死だ」ということを察知し、イエス様に対するありがたさを押さえることができなかったのでした。

わたしたちも、イエス様の苦しみと死を「あたりまえ」のことと思わず「ありがたい」ことと思い、その気持ちを神様と周りの人々に表しましょう。「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」(14:9)。わたしのために死んでよみがえられたイエス様への感謝をもって1日1日を真摯に生きる時、その人の生涯は後世にまで語り伝えられます。これこそ「後世への最大遺物」なのです。

(永田 令 牧師)