究極の恩送り

「究極の恩送り」 2020/11/22 主日礼拝メッセージ

マタイ25:31-46

教会暦では今日が今年最後の日曜日です。この時期はイエス様が再び地上に来られる「再臨」について学びます。きょうの福音書に「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます」(マタイ25:31)とあります。イエス様の一度目の来臨、すなわちクリスマスでは、イエス様はみずぼらしい姿で馬小屋でお生まれになりました。しかし再臨の時は栄光に輝く姿で来られ、すべての人を「羊とヤギ」に分けます。

「羊」とは、助けを必要としている人に手を差し伸べた人です。その行為はイエス様ご自身にしたこととみなされて、イエス様は神の国に入れてくださいます。一方「ヤギ」とは、助けを必要としている人に何もしなかった人で、その人はイエス様ご自身に何もしなかったとみなされ、永遠の火に入れられます。

しかしこれでは、「人が天国にいくかどうかは、結局その人自身の行いによる」ということになります。でも聖書のメッセージは「人間は誰一人、天国に行けるほどの正しい行いをすることが出来ない。だからこそイエスキリストが身代わりとなって十字架で死んでくださった。人が救われるのは行いによるのではなく、ただキリストを信じる信仰による」ということです。自分は賢くて、羊飼いを必要としないヤギではなく、羊のように愚かで迷いやすい者だということを認めて、イエス様を羊飼いとして生きる人は、イエス様の十字架によってすべての罪がゆるされ、永遠に緑の牧場で憩うことが出来ます。

きょうの箇所の「羊」たちは、自分が良い行いをしたという自覚はありませんでした。ただひたすら羊飼いであるイエス様の声を聞き、イエス様がくださる食物を食べ続けただけです。イエス様の声は聖書の御言葉、イエス様の食物は聖餐です。それをますますいただき、ますます清められる時、その人はさらに喜びと感謝にあふれ、誰かにその喜びを分けずにはいられなくなります。こうして結果的に、他の人を助ける者となるのです。良い行いは救われる「条件」ではなく、救われた「結果」です。ちょうど人から受けた恩を他の人に送る「恩送り」のように、イエス様から受けた恵みを他の人に送る。その時イエス様も「それはわたしにしてくれたことだ」と言って喜んでくださるのです。

(永田 令 牧師)