油断大敵

「油断大敵」 2020/11/8 主日礼拝メッセージ

マタイ25:1-13

きょうの聖書は、イエス様が再び地上にやって来られる「再臨」について教えるたとえ話です。ユダヤの結婚式では花婿が花嫁を家まで迎えに行き、花嫁の友人たちが出迎える習慣がありました。到着時間は誰にもわかりません。

きょうのたとえで夜中に花婿が近づいた時、出迎え役の10人の娘のうち、愚かな5人は予備の油を用意していなかったためにともしびの火が消えかかり、調達に走っている間に花婿が到着し、祝宴に入ることが出来ませんでした。しかし賢い5人は予備の油を用意していたので祝宴に入ることが出来ました。

イエス様の再臨も、その日その時は誰にもわかりません。だからいつでもわたしたちは「油断」、すなわち油を切らさないで待っている必要があります。油とは「聖霊」のことです。誰でもイエス様を信じて洗礼を受けると、神様から「聖霊」をいただきます。きょうの話で10人とも最初の油は持っていました。しかし、愚かな5人は「欠乏を埋める」油を持っていなかった。これは聖霊に「満たされていなかった」ということです。聖霊に満たされると、人は自信に満ち溢れるのではなく、かえって自分の罪が示されて、神様にゆるしを求めるようになります。「その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」(ヨハネ16:8)。こうしてますますイエス様の十字架による救いのありがたさを知るようになる、これが聖霊様の力です。

いつでも聖霊様に満たされているために必要なことは、まず第一に「聖書を読む」ことです。芸術の秋にいろいろな小説や映画を楽しむことも結構ですが、それだけでなく聖書を毎日読みましょう。そうでないとだんだんイエス様から離れ、魂の油が切れて行きます。第二に「聖餐にあずかる」ことです。聖餐式によってわたしたちは、イエス様が再び来られるまで主の死を心と体と魂に刻み付け、いつも感謝と喜びを持つことが出来ます(Ⅰコリント11:26)。

わたしたちは元来「油断」してしまう者です。でもそんなわたしたちの代わりに、一度も油断しなかったイエス様が十字架で死んでくださいました。このイエス様の死をいつも心に刻みながら歩みましょう。そしてその日その時が来たら、喜びのうちに天国の祝宴に入りましょう。

(永田 令 牧師)