恐れることはありません

「恐れることはありません」 2020/6/21

マタイ10:24-39

いま日本では、教会に集まって礼拝や集会をしても、捕まることはありません。しかし戦時中は捕まりました。世界には今でもそんな国があります。
こうした迫害の中にあっても「恐れるな」という言葉が、今日の福音書に三度繰り返され、その理由が述べられています。

第一の理由は、おおわれているもので、現されないものはない」(10:26)からです。今は信仰をあざ笑う人が多いかもしれませんが、いつか必ず真実が明らかにされます。イエス様が雲に乗って再び地上に来られる時、すべての答えが明らかになります。

第二の理由は、人間には「からだは殺せても、たましいは殺せない」(10:28)からです。からだもたましいも殺せる(裁ける)のは神様だけです。クリスチャンは、イエス様が身代わりに十字架で裁きを受けてくださいましたから、もはやたましいを殺されることはありません。だから、からだしか殺せない者を恐れる必要はないのです。

第三の理由は、わたしたちは「たくさんの雀よりもすぐれた者」(10:31)だからです。値のつかない一羽の雀さえも守られる神様が、わたしたちを顧みてくださらないはすがありません。神様はわたしたちの「頭の毛さえも」(10:30)数えておられます。いったい何を恐れる必要があるでしょうか?

このように、恐れなくていい理由がいくつもあるにもかかわらず、「そうは言っても恐れてしまう」のが人間です。御言葉を真っ向から跳ね返してしまうような者です。イエス様はまさにそんなわたしたちの身代わりに十字架で死んでくださいました。わたしたちが「もうお前など知らない」と言われないために、イエス様ご自身が神様から「お前など知らない」と言われてくださいました。イエス様の十字架と復活によって、わたしたちはたとえ弱くても強い者に、たとえ恐れても恐れない者に変えられました。イエス様の十字架と復活こそ、わたしたちが何も恐れなくていい本当の理由です。そのことを喜びながら、今週も歩んで参りましょう。

(永田 令牧師)