疑う者だからこそ

「疑う者だからこそ」 2020/6/7

マタイ28:16-20
Ⅱコリント13:11-13

きょうは聖霊降臨後第一主日。別名「三位一体主日」です。わたしたちが信じている神様は、ただひとりのお方でありながら「父なる神様、御子イエス様、聖霊様」という三つの位格を持っている、という、人間の理解を越えたお方です。

教会は、この三位一体の神様の御名によって洗礼を授けます。マタイ28:19に「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい」と書かれてある通りです。「御名によって」の「よって」と訳されている言葉には「中に」という意味があります。すなわち、人は洗礼によって三位一体の神様との交わりの中に入り、神様と完全に結ばれた関係になるのです。

Ⅱコリント13:13に「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」とあります。礼拝の最後の「祝祷」として使われる言葉です。ここでパウロは通常の「父・子・聖霊」という順番ではなく「イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わり・・」、つまりイエス様の恵みを先に書いています。じつはパウロがこの手紙を書き送ったコリント教会には、多くの問題がありました。争いや批判、さらに目を覆うような性的な乱れまでありました。しかしそのような人間の罪をすべて背負って、イエス様は十字架で死んでくださり、よみがえられました。このイエス様の恵みがあって初めて、わたしたちは、父なる神様の愛、聖霊様との親しいお交わりを喜ぶことが出来るのです。 復活のイエス様と再会した弟子たちは、ある者はイエス様を礼拝し、ある者は疑いました(マタイ28:17)。ところがイエス様はその両方の者たちに「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)という偉大な使命をお与えになりました。どんなに熱心な弟子(クリスチャン)であっても、疑いはあります。しかしその弱さがあるからこそ、イエス様の力が発揮されるのです。だからどんな時もイエス様の十字架を見上げて立ち上がりましょう。疑う者だからこそ、わたしたちは主の証人になれるのですから。

(永田 令牧師)