赦された者の歩み

「赦された者の歩み」 2020/2/16

申命記30:15-20
マタイ5:21-37

本日もイエス様の山上の垂訓からです。イエス様は「兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでも裁きを受けなければなりません」と言われます。イエスさまの真意は兄弟との和解です。それは兄弟との関係以上に神さまとの関係に関わることです。
神さまと罪は相容れません。罪人である私たちは元来神さまと相容れないのです。神さまはそんな私たちと和解して下さった。神さまと和解した私たちは、私たち同士でも和解し合わねばいけません。
兄弟と和解することは人との関係以上に神さまとの関係において重要なのです。だから、神さまへの捧げものの途中でもと言われるのです。そして和解すべき人の存在を軽視してはいけません。和解しないなら、その人のあなたに対する訴えをイエス様は取り上げられると警告されています。

また、人は結婚を心から尊重しないといけません。結婚もまた、人との関係である以上に神さまとの関係において重要なことだからです。

さらに、イエス様は誓ってはいけないと言われます。神さまを引き合いに誓うことは相手より高みに立つことであり、自分を神さまの方に引き上げることです。そうではなく、相手と同じ地平に立って、はいははい、いいえはいいえと言いなさいと言われます。人に謙遜な態度でいることは神さまに対しても謙遜で、良い関係を保たせることにつながるのです。

これら三つの関係、即ち兄弟との和解、夫婦の貞節、他者への謙遜は、全て神さまと和解して罪が赦されたということが根本にあります。人との関係は神さまとの関係と連動しているからです。 兄弟に対して、妻や夫に対して、他者に対して、和解する心をもって接していきましょう。それが赦された者の歩みです。

(井上 靖紹長老)