月別アーカイブ: 10月 2020

10月土曜クラブ「スペシャル版」

久しぶりに教会で土曜クラブをします!

三密をさけるため、外でゲームをしたりおはなしを聞いたり、去年の「食育クイズ」の表彰&プレゼントもあります。食事はありませんが「おみやげ」があります。

お金はいりません。ぜひみんなの元気なお顔を見せに来てね!

とき:10月17日(土)10:30~11:30
さんかひ:無料

夜空の星のように

「夜空の星のように」 2020/10/4 主日礼拝メッセージ

マタイ21:33-46

10月になり、今年もあと3ヵ月となりました。コロナ禍によって毎日暗いニュースが流れています。しかし神様は必ず闇を光に変えてくださいます。しかも、「闇の後」でやっと光が来るのではなく、「闇の中」に既に光が輝いている、と聖書は語っています(ヨハネ1:5)。

今日のたとえ話はずいぶんシリアスな話です。ぶどう園で働いた農夫たちが、収穫したぶどうを主人に渡そうとせず、主人から送り込まれる使者たちをふくろだたきにしたり、石で打ったり、殺してしまったりします。そして最後に主人が遣わした主人の息子までも殺してしまう、という話です。一見あり得ない話に思えますが、当時のイスラエルは格差社会のために、貧しい労働者たちは裕福な主人にいつもねたみや怒りを感じており、実際にこういう犯行もあったそうです。
私たちも、自分より幸せそうな人や、あまり苦労していないように見える人に対してねたみや怒りを感じてしまうことがあります。また神様に対しても、実際は命や家庭や仕事や太陽や雨など、すべて与えていただいているにもかかわらず、感謝よりも不満や怒りを持ってしまう、それが私たち人間です。 (さらに…)

真実の言葉

「真実の言葉」 2020/9/27 主日礼拝メッセージ

マタイ21:23-32

きょうの福音書に「2人の息子」の話が出てきます。忙しいぶどうの収穫期、父親は2人の息子に「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」と頼みます。兄は「行きます。お父さん」と言いましたが、行きませんでした。弟は「行きたくありません」と言いましたが、あとから悪かったと思ってぶどう園に行きました。結果的に父親の願った通りにしたのは弟の方でした。

このたとえの父親は、人々に「悔い改め」を迫ったバプテスマのヨハネ、兄は当時一番信仰的に正しく、立派だと思われていた祭司長や長老たち、そして弟は当時みんなから罪びと呼ばわりされ、神様から最も遠い存在と思われていた取税人や遊女たちを指します。取税人や遊女たちはヨハネの言葉を聞いて悔い改め、ヨハネから洗礼を受けましたが、祭司長や長老たちはヨハネの言葉を聞いて肯定しましたが洗礼は受けませんでした。「行きます、お父さん」と言って行かなかった兄と同じです。彼らが洗礼を受けなかった理由は、自分たちは既に正しい者だから、今さら悔い改める必要がないと思ったからです。ところが彼らの自信は、イエス様の「ヨハネの洗礼は、天からか?人からか?」という質問によって、もろくも打ち砕かれます。群衆の目が怖くて彼らは本心を言えず、「わかりません」というあいまいな答えをしました。彼らは神様を見ていたのではなく、人を見て、人を恐れていたのです。そういう人の言葉はあいまいになります。

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