月別アーカイブ: 2月 2020

共に歩むしあわせ

「共に歩むしあわせ」 2020/2/2

詩編133:1-3
マタイ5:1-12

「共に歩むしあわせ」…これは今年の姫路教会のあいことばです。聖書箇所は詩133:1節「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」です。

この言葉の最初の「見よ」は、「なんとまあ!」のように、強調する言葉です。「兄弟たち」というのは、同じ神様を信じる民、ということです。この詩の表題の「都のぼりの歌」というのは、いろいろな国に散らされていた神の民が、礼拝するためにエルサレムの神殿に集まっていく時の歌です。「普段の暮らしも言語も違うけれど、こうして集まって同じ神様を礼拝し、交わることが出来るなんて、なんとしあわせなことだろう」ということです。

現代の教会の兄弟姉妹も、考え方も性格もまるで違います。でもそんなわたしたちを、神様は集めてくださいました。人間的な争いや衝突はあるかもしれませんが、その交わりには不思議な「しあわせ」(ヘブル語でトーブ)と「楽しさ」(ナイム)があります。なぜなら (さらに…)

生きよ!

「生きよ!」2020/1/26

マタイ4:12-23

イエス様は「バプテスマのヨハネが捕らえられた」のをきっかけに、ガリラヤで宣教活動を始められました。ヨハネが捕まったのは悪いことをしたからではなく、正しいこと・・すなわち国主ヘロデの不倫を指摘したために投獄されたのでした。何と不条理なことでしょうか?

このような不条理は現代も巷にあふれています。アフガニスタンで銃撃された中村哲さんもそうです。しかしそれは「ごく一部のテロリスト」だけの問題ではなく、わたしたちすべての人間の心に潜む闇を映し出しています。わたしたちも「姦淫してはならない」「殺してはならない」「盗んではならない」等の戒めを心の中で破っており、それを指摘してくれるヨハネのような人を、国主ヘロデのように葬り去っているのではないでしょうか?

そのような人間の罪の現実の只中で、イエス様は立ち上がられました。 (さらに…)