礼拝メッセージ

約束の虹

「約束の虹」 2024/2/18

マルコの福音書1章9~15節

  先週の水曜日(2/14)は「灰の水曜日」という日で、この日から四旬節(受難節)に入りました。イエス様の苦しみを覚える期間です。四旬節はその名の通り40日間続きます(日曜日は除く)。「40」という数字は、聖書では「苦しみ」「嘆き」「忍耐」等を表します。しかも苦しみの「極み」です。昔の「むちうち刑」の回数は39回でした。40回目で死ぬ罪人たちがいたからです。

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福音の光

「福音の光」 2024/2/11

マルコの福音書9章2~9節

  創世記の最初に、神様が「光あれ」と言われました。そして、光とやみを区別されました。「光」は、物理学上の基本粒子として重要なものですが、第Ⅰヨハネ1:5で言うように、神様や神様のお力そのものとして語られる大切なものです。心の世界では光と暗闇が混ざり合っていますが、私たち自身では、自分を真っ白に拭うことができません。私たちのきりのない、泥沼のような人間の悪、絶望感は表現できないほどの大きさに広がっています。

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下に根を張り、上に実を結ぶ

「下に根を張り、上に実を結ぶ」 2024/2/4

イザヤ書37章30~36節

 姫路教会の今年のあいことばは「下に根を張り、上に実を結ぶ」(イザヤ37:31)です。預言者イザヤがこの言葉を語った時代は、現代と同様「軍事侵攻の連続」でした。当時最強の軍隊と言われたアッシリア帝国が、シリア、フェニキア、バビロン、エジプトを次々に征服し、北イスラエルも滅ぼしてしまいます。そしてついにイザヤたちのいる南ユダにまで侵攻してきたのです。当時の南ユダの王はヒゼキヤというとても信仰深い人でしたが、アッシリアは容赦なく襲ってきました。神様を信じていても大きな苦難はやって来るのです。

アッシリア軍は首都エルサレムを包囲し、神様を侮り、ヒゼキヤ王に降伏を迫りました。その時ヒゼキヤ王はイザヤに頼みます。「祈ってください」(4)。「このような絶体絶命のピンチに、祈りなど無意味」などと言わずに、ヒゼキヤは祈りを要請したのです。そしてヒゼキヤ自身も祈りました。すると (さらに…)

もったいない!

「もったいない!」 2024/1/7

マルコの福音書1章4~11節

 明けましておめでとうございます。きょうは今年最初の日曜礼拝です。「礼拝」は英語で「サービス」です。人間から神様へのサービスではなく、神様が人間にサービスしてくださるということです。だから礼拝は「出なきゃダメ」なのではなく「出ないともったいない」のです。

さて、きょうはイエス様が洗礼をお受けになったことを記念する日曜日です。約30歳になられたイエス様が、救い主としての働きを始めるにあたって、ヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになったのでした。ヨハネの洗礼は、いま教会で行われている洗礼とは違います。現在の洗礼は、水と一緒に聖霊も(目には見えませんが)注がれています。洗礼の水によって罪びととしての自分が溺れ死に、そこへ聖霊様がくだって神様の子どもに生まれ変わる、これが現在の洗礼です。しかしヨハネの洗礼では聖霊が注がれません。ただ自分の罪を認めて「悔い改めます」という意思表明でしかありません。つまり救いに至る入り口ではあっても、救いそのものではないのです。 (さらに…)